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無念の表情を滲ませて孫策は張遼の後ろについていく。馬首を北へ向けて、来た道を引き返した。暗くなっても進む、その方が安全だろうし距離感もあったので兵も文句を言わない。真夜中になったが孟津へたどり着くと、さっそく主要なものらが集まった。
「島将軍、洛陽で奇襲を受けた孫堅殿が南へ撤退していたので引き返して参りました」
孫策を伴っているのを確認すると「そうか」とだけ言って帰着を承認する。荀彧が想定した最悪の予言が、いともあっさりと実現してしまう、なるほど様々考えておくと言うのは必要なことだと皆が痛感する。
「無駄足を踏ませてしまい、避孕 重ね重ね申し訳ありませんでした」
「謝ることなど一つもない。孫策はよくぞ引き返すと言う判断を成し遂げた、それでこそ将だ」
気落ちしているのか反応も小さく謝辞を述べて終わる。今は仕方ない、今後についてを考えるべきだと視線を周りにやる。
「こうなっては我が君だけが突出していることになりますので、速やかに増援を求めるか、さもなくば引き下がるかのいずれかを選択すべきです」
「今さらだ、連合軍本営へ戻るぞ。そしてその後に拠点へ帰る、細かいやりとりについては任せる」
「それではそのように致しましょう。孟津はいかがいたしましょう?」
折角占領したのに放棄する、勿体ないとも思えるがずっと居座るわけにもいかない。交代でやって来る諸侯がいるならば受け渡し位は手配するつもりはあった。
「開封まで買い上げた船を運ぶように船頭には命じておけ。もしそのまま向こうで暮らすつもりがあるなら、俺が面倒を見てやる。引き払う際に民に狼藉を働くのは一切許さん、それを徹底しろよ。明日の朝にここを離れる」
「そのように致します」 これといった反対はなかった、船を買い集めたという部分だけが特殊で、他は不思議もない。半々で略奪をして引き上げるような将軍がいるが、どちらでもいわば普通の行動と言えた。自発的な引っ越しは制限がかかっているので、支配者が誰になるかは領主ガチャとでも言われそうなものなのだ。
一行が整然と軍を整えて出て行くと、住民は少しばかり残念そうな表情で見送る者が多かった。二日かけて引き返した。未だに成睾は陥落せずに包囲をされていたが、後方の本営に入ると様子がおかしかい。野営の準備を保留させ大休止のみさせて諸侯が集まる場へと入る。
左右を見ても欠けている席が幾つもあった。
「島介戻りました」
そういって訝し気に一礼すると、袁紹が「おお島介殿、よくぞ戻ってくれた!」妙な歓迎をされてしまう。それはそれとしてまずは自身の席に着く。
「数名姿が無いようですが?」
一直線尋ねると袁紹は俯いて語らない。それでは解らんとばかりに隣に居る劉備の方を向いたが、難しい顔で前を向いたままだった。うーん、と唸っていると曹操が歩み寄って来て「少し歩こう」誘いをかけて来る。この場では話しづらい何かが起こっているのだとの示唆。
幕を少し離れて警護兵の背を見ながら立場話をすることになった。
「……先日だが、劉岱殿が橋瑁殿を攻め殺した」
「え、何故そのようなことを?」
冤州刺史劉岱、橋瑁は同じ州の太守で仲間だ。多少のソリが合わないことはあっても、いきなりそれは流石におかしい。「原因は食糧にある。知っての通り各地からやってきている連合軍だ、策源地より遠い諸侯や元より携えて来たものが少ない者もいる。かくいう私もそうだが、兵が腹を空かせている。動くべきだと主張した橋瑁殿と、慎重にすべきだとの劉岱殿が衝突したのだ。冀州の韓馥が次の収穫まで補給が遅れるとの通知があってな、これでは持たないだろう」
「だとしても殺すまでせずとも良いのでは」
人の命は軽い、今の時代の不文律だ。特に名声がある諸侯らはそれらから外れてはいるが、比較の問題でしかない。