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梅は艶やかな目を伏せて小さく震えている。
ーー恋…お梅さんも…?
詩はボーっと梅を見つめる。
ーーなんだろう?
何か、胸か、のどのあたりが変…
詩は自分の胸に手を当てた。
なんだろう?これは?
ああ、『苦い』?
ーー表現するならきっとそれが一番近い。
でも、なぜ?
信継様が誰を選ぼうと、誰と同衾しようと、私には全く関係ない。ーーはず。
『絶対に桜は俺の嫁にする。
”安心”なんかさせないからなッ』
洞窟で一番過ごした帰りの言葉。
そんな言葉がふと詩の頭の中に聞こえ、詩は首を振った。
ーー父上が珍しいのであって、殿方とは複数の女子を求めるものーーこの高島の殿のように…
信継様とて例外ではない。
それに、どうであってもここから出たい私にはなおさら関係ないことーー
「えっ…お梅さん、それは…。
…失礼ですが、誠なのですか…?
信継さんは…」
緋沙の目が狼狽えて、詩を見つめる。
梅は袖で顔を覆って、泣いているようだった。
「…お梅さん、わかりました」
詩は微笑んで頭を下げた。
「…私は大丈夫ですから
お2人とも本当に、幸せになって下さい。
今までありがとうございました」
それは、心からの言葉だった。
それから詩は緋沙に深く頭を下げた。
「緋沙様…私の大切なお2人です…
何卒、今後ともよろしくお願い申し上げます」
「え…ええ…」
緋沙は落ち着かない顔でそう言った。
ーーーーー
夜。
2人きりになると、緋沙は神妙な顔で詩に言った。
「詩姫…
お梅さんは、取り敢えず今後、信継さん以外、誰の相手もさせないように後宮の責任者に指示しました」
「ありがとうございます」
「それからね…
後宮の者に聞いたのですが…」
「はい」
「信継さんのこと…本当のことでした」
「…」
火鉢の炭がパチッと音を立てた。
「後宮の奥に『特別室』というのがあって
そこで過ごされたそうです…
1日目は…朝まで。
2日目は…ほら、詩姫をここに連れて来られたあの日です」
「はい」
詩は落ち着いて聞いていた。
動揺を隠せないのはむしろ緋沙の方だった。
「でもね…私には信じられなくて」
緋沙は小さくため息をついた。
「信継さんの性格上…そういう」
緋沙は慌てて言う。
「あ…決してお梅さんを疑っているわけではないのですよ」
詩は微笑んで頭を下げた。
「何とも思っておりません」
「…」
緋沙はかなしそうに詩を見つめる。
「…あなたが…私の娘になってくれたら嬉しいのに」
「…」
「…私は、子を成せない体なのです」
「…っ」
詩は驚いて、緋沙を見、それからゆっくり視線を伏せた。
「継室ですから…立場上、信継さんの母ではあります。
何年たっても、殿のお子を授かれない…それがわかっても、殿は私を、」
火鉢の炭が静かに崩れる。
「高島の殿はあんな人ですが…優しさはあるのです」
詩は静かに頷く。
「…詩姫、信継さんが戦から戻るまで待ってはいただけないかしら…
なんだか、違うと思うのです。これは女の直感です」詩は小さく首を振って、畳に手をついた。
「…過分なお言葉、ありがとうございます…
申し訳ありません。
警備の手薄な今…立ちたいと思います」
「…」
「…緋沙様には、ご迷惑をおかけしません」
緋沙は唇を噛んで、悲しそうに詩を見た。
「それでも詩姫…そなたに当てなどないのでしょう」
「…」
詩は黙って微笑んだ。
「どうあっても、行かれるのですね…。
もしよければ…私の実家…多賀の家をお尋ねなさい」
「…え…」
多賀家といえば、小さいが、由緒正しい血筋の家柄だ。
今は高島の後ろ盾を得ている国だ。
緋沙は決意を決めたように、凛とした表情で詩に告げる。
「文を書きます。…私の兄を頼りなさい」
「いえ!…それでは、ご迷惑をおかけします…」
緋沙は言うが早いか文机でサラサラと文字をしたためた。
「これを。共も付けましょう」
「いえ、本当に、大丈夫です」
「危険ですから」
詩は微笑んで緋沙を見つめ、文を受け取る。
畳に手をついて、ゆっくりと頭を下げた。
「…本当に、お心遣いありがたく感謝いたします。
…不躾ですが、1つだけ…お願いしたいことがございます」
「何でも言ってください」
「…銀を…馬の銀を一緒に連れて行ってもよろしいでしょうか」
緋沙は目を見開いた。
「詩姫は1人で馬に乗られるのですか」
詩は嬉しそうにニコッと笑う。
「はい。私、銀が大好きです。銀の背に乗れば、空を飛ぶように駆けてくれます」
緋沙はにっこり笑った。
「…わかりました。銀のことも手配しましょう」
ーーーーー
「あ…」
夜半。驚きに目を見開く。
緋沙の采配で黒い忍び装束に身を包んだ詩の前にーー牙蔵の姿があったのだ。
「え…牙蔵さん…?」
緋沙はにっこりと笑う。
「牙蔵が一番腕が立つし信用できますからね。
牙蔵、頼みましたよ」
「…」
牙蔵はかすかに微笑んで頷き、緋沙を見た。
「…何かあったら…
何もなくても、帰ってきなさい。
私はもう…あなたを娘のように思っているのだから」
潤んだ瞳で詩の手をしっかと握る緋沙。
詩もこぼれそうな涙をこらえて緋沙を見上げる。
「…何から何まで…お世話になりました…」
緋沙は何度もうなずいて、ぎゅうッと詩を抱きしめた。
それから名残惜しそうに、ゆっくりと腕を緩める。
「さ、もうお行きなさい。
…牙蔵」
牙蔵は頷き詩を促す。
素早く緋沙の部屋の戸を閉め、2人で玉砂利の上に降りた。
ーーと思ったら、牙蔵の腕が詩の腰にまわってあっという間に木の上に飛んだ。
「…っ」
詩の悲鳴は、それをわかっていた牙蔵の手の中にくぐもった。
「…あのねえ」